| 白澤 1月号/No.86 |
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白澤とは、中国より伝わる、深山に住むとされる神獣です。四つ足で角が3対生え、顔に3つ、胴体に6つと、合計9つの目を持ちます。9つも目を持つのは世の中を注意深く見守るという意味合いがあると思われています。
白澤は言語を操る事ができる上、非常に聡明で、世の中を治める君主が有徳(人から慕われ、善行が多い事)である世に現れたといいます。中国の帝王、黄帝が海辺で白澤に出会った際、白澤は11,520種に及ぶ妖怪や鬼について語り、世の中の害を防ぐ為に忠告したと伝えられています。この時の白澤の教えを、黄帝は書物に著しています。これが、『白澤図』と呼ばれる世界最古の妖怪図鑑です。 この様な言い伝えから日本では、白澤は旅人を守る神獣とされ、旅のお守りとして白澤の図を身につけるようになりました。尚、白澤の図は栃木県日光市にある日光東照宮でも見る事ができます。拝殿に向かって東の杉戸に描かれており、江戸時代の画家、狩野探幽によるものとされています。 |
| 傷寒論辨正 2月号/No.87 |
| この書は、寛政2(1790)年、中西深斉(なかにししんさい)により書かれた「傷寒論」の解説書です。「傷寒論」は古代中国の医方書で、古くから多くの解説書などがあり、日本だけでも五百書を越える程です。219年に編撰して以来、1800年経つ今でも、『傷寒論は聖人の作であって、万巻の医書ありと云えども、その右に出る医書なし』と名医たちが誉めたたえています。「傷寒論」は当初、「傷寒雑病論」として書かれたのですが、後に「傷寒論」と「きんい金匱要略」に別れました。腸チフスやその類いの急性熱病を"傷寒"と言い、文字通り、寒に傷(やぶ)られて起きる病気の事です。その外感病(外からの原因で起こる病気)に対する処方書が「傷寒論」で、これに対して「金匱要略」は、内傷病(身体の内部の原因で起こる病気)の処方書となっています。「傷寒論」は、中国の伝統医学を基礎とする漢方の書とも言え、現代人が失いつつある知識の活用のエッセンスが込められています。 |
| 養生訓 3月号/No.88 |
| この教訓書の作者、貝原益軒は、寛永7(1630)年に福岡城内に生まれました。19歳の時に黒田藩主・忠之に仕えますが、二年足らずして藩主の怒りに触れ免職となります。その後、七年に及ぶ浪人生活の間、益軒は江戸・京都・大阪・長崎にて多くの学者と交わり、医道をはじめ、朱子学や草本学、自然科学などを学びます。藩主の死後、27歳にて藩に戻ることを許された後も学問を重ね、儒学者として藩に仕えることになりました。そんな益軒が、多くの経験に基づき晩年である84歳(1713年)に著したのが、養生訓です。この書で益軒は「命長くして久しく楽しむにあり」と述べています。これは「健やかに歳を重ねて人生を楽しむ為に元気な時から養生しなさい」という意味です。益軒は当時では驚異的な長寿者で、84歳まで生きています。『病なく生活を楽しむ生き方』を大切とし、彼の人生目標が、そのまま教訓書となったと言えます。著わされてから300年ほど経った養生訓は、欲を制することを苦手とする現代人にとって、悪い生活習慣を見直す書となりそうです。養生するということは、悪い習慣をなくし、当たり前のことを実行し習慣とすることなのかもしれません。 |
| 蘭引 4月号/No.89 |
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蘭引とは、液体を蒸発させたものを冷却し、純粋な成分を取り出す蒸留器具のことです、液体を入れて加熱させる「加熱部」と、蒸発した液体が通る「渡り部」、そして蒸発した液体を冷やす「冷却部」の3段重ねになっています。「ランビキ」という名前は、ポルトガル語で「蒸留器」という意味をもつ“アランビク”がなまったものです。蒸留器の歴史は古く、紀元前7世紀頃のギリシャで、空気中で簡単に酸化される鉄や亜鉛などの卑金属から、金や銀などの空気中で酸化されにくい貴金属を作り出す際に利用されるなどしていました。後に世界中に広まった蘭引はお酒などを造る道具としても利用され、日本でも焼酎が造られるようになりました。また、蘭引を用いて造られたお酒は「生命の水」として不老長寿の効果があると言われ、昔は薬として売られていました。 古代から伝わってきた蘭引は現代でもなお使用されており、様々なお酒作りに役立っています。 |
| サフラン 5月号/No.90 |
| 馴染み深いサフランは、非常に高価なスパイスの原料となるものです。それだけでなく、消化促進や婦人病の治療薬、染料としても古くから珍重されていました。特にヨーロッパでは料理には欠かすことのできないスパイスであり、非常に高価であったため、その偽造品を売った者が火炙りの刑に処されたという話も残されています。 原産地は南ヨーロッパ、西アジアで、「サフラン」の名はアラビア語に由来しており、日本では泊夫藍(さふらん)とも書かれます。このサフラン、用いられるのはめしべの柱頭の部分です。球茎を9月中旬に植え付けると、10月中旬〜11月中旬に花を咲かせます。花を早めに摘み取り、さらにその花の中からめしべの先だけを抜き取り、陰干し、乾燥させて用います。サフランのめしべは3本あるように見えますが、実は1本が枝分かれしているにすぎません。ですから1つの花から取れるめしべは1本で、100gのめしべを得るにはおよそ1万7000個の花を必要とするのです。 古代ギリシャにおいてサフランの黄金に輝く色は「ローヤルカラー」として尊重されていました。時を経た現代、サフランの黄金色は色褪せることなく、スパイス、染料、そしてくすりとして広く利用されています。サフランの花が咲きつづける限り、人々はミツバチのようにそのめしべに集うのでしょう。 |
| 大棗 6月号/No.91 |
| 「大棗」とは、棗の果実が成熟したものです。日本へは中国より伝わり、果樹として広く各地の庭に栽培される他、野生にも見ることができます。高さ10mくらいにまで育ち、4〜5月に薄い黄色の花が咲き、楕円形の甘い果実が成ります。「ナツメ」という名前は、夏に芽が出ることから名付けられたという説と、実の形がお茶の道具の棗に似ているから、という説があります。大棗は古くから薬用として用いられ、中国の古い処方「傷寒論(しょうかんろん)」にもその名が記されているほどです。滋養・強壮、鎮静、緩和、利尿の効果があり、漢方薬の原料としても多く利用されています。さらに、そのまま食べることもできたり、葉は染色の材料にも利用できます。食用として、そして健康のため、さまざまな形で利用されてきた大棗。その力は衰えることなく生き続け、これからも私たちの役に立ってくれることでしょう。 |